夜行バスが停車すると、僕はカンボジアに来て初めに降り立った街、プノンペンに戻っていました。
早朝のプノンペン、一昨日クルーズしたトンレサップ川の更に下流域の街は、朝日のなか、早くも熱気に包まれていました。
いつものごとく外国人の僕たちにトゥクトゥクドライバーが沢山集まって
どこにでも珈琲がファーマーズマーケットの片隅に展示されます。
いつも旅の途中で楽しんでいる珈琲をどこにでもブレンドとして皆さんにお裾分け。
旅の途中に欠かせない「須藤さんのパン」屋さん、その名も
「パン・オ・スリール」さんにて、限定5ボトル(追加があるかもしれません)
ファーマーズマーケット開始時刻から珈琲売り切れまで。
火を使ったりはできないかと思うので、その場でどこにでも珈琲とは行かないかもしれませんが、楽しみを家ででも珈琲ということでお持ち帰りください。
製品:どこにでもブレンド(珈琲豆、挽き売りなし)
内容:牛乳瓶ボトル 66g
価格:¥700ー(次回ボトルをキャップ付きで返還の場合¥100ーお返し)
どこにでも珈琲とどこにでもパン(いつももっていってるやつ)をどうぞ。
お待ちしてマース。
旅立ちの朝です。
ミラノへは始め、僕一人でゆく予定でした。目的はミラノで開かれる世界で一番大きな家具見本市、Milano del mobile、ミラノサローネ。
カンボジアで訪ねた友人の紹介で知り合ったミラノ出身の夫婦の家に泊めてもらって、市街を回る計画を話すと、イワガキくんも突如として動向を表明し、たちまちどこのでもの旅が成立したのでした。
七時に渋谷を出発するバスに乗るべく、昨日までにパンパンに詰め込んだ旅行カバンを抱えて、6時過ぎに家を出ました。
歩いて10分のひとつ遠い駅まできてみると、乗る予定だった列車が人身事故の影響で運休しています。
まだ時間に余裕はありますが大いに迂回をしなくてはなりません、焦りながら別方面の列車に飛び乗り、乗り換え駅で荷物が思いために二本の列車をやり過ごし、ぢりぢりしながら十分まち、やっときた各駅停車に乗り込みました。
渋谷に着くと地下道のアンバリアフリーに改めて気がつきながら、エレベーターのボタンを押すと全くエレベーターこず。
思いトランクを担いで五階まで駆け上がりました。
ターミナルに着くともうイワガキくんmがチケットを買って待っていてくれて一安心、成田へ向かうバスの中、ひととき休息です。
目覚めるのはとてもはやく、朝の二時半から起きたり寝たりを繰り返し、五時半には照明をつけました。
昨晩ミラノに到着したのは夜の九時ごろでした。
友人宅へ空港からタクシーで直行、荷物をずりずりと上の階まで持ち上げると、食卓について晩ご飯をご馳走になりました。
十一時がちかくなると、僕は目が冴えてきました、日本時間で起きる時刻に近いからでしょうか。そのちょっと前までとてつもなく眠かったのに。
そしてさっきまで目の冴えていたイワガキくんは今や風前の灯火といった感じです。記事を書く気力が途切れ寝てしまいました。
そして翌朝の今朝、朝食をご馳走になり、どこにでもブレンドで珈琲を淹れて仕上げたあと、僕たちは雨のミラノをブラブラと歩き始めました。
以前は日本人の友人が暮らしていたこの街はいつもその友人と一緒にまわることが多く、街の道をほとんど覚えていません。ただでさえ9年ぶりだということも重なり、とにかく今朝から当て度もなく歩くようなことになりました。
かすかな記憶を辿りながら、美味しいと教えてもらったピッツァ屋さんや運河の風景を求めるのですが、なかなかやはりうまくはゆきません。
それでも今日は結構時間はたっぷりゆっくりあるので、まあ、何となく疲れたら休めばいいさという気持ちで。
と、道をブラつく僕たちになにやらおばちゃんが突然声をかけてきます。
わからない顔をしていると、英語で一生懸命言い直してくれました。
どうも、もうすぐシティマラソンの先頭が通るということ。
今日は雨の中街中がマラソンランナーで溢れかえっていました。
先頭集団がさっそうと通り過ぎたあと、Duomo近くにゆくとわーわーと歓声をあげながら一般の参加者たちが走っています。
雨の中寒さにもまけず。
イワガキくんと僕はそんな街の中心街から少し離れて、一軒のピザ屋さんに入りピッツァを一人一枚ずつ注文。
結構当たった様子のこのお店は、ristorante DONATI srl piaaeriaというお店で、viale Cassiodoroにあります。
白ワインが美味しかったので、普段飲まないイワガキくんが、2杯がぶ飲み、2杯。。。
このあと、イワガキくんに惨事が起こるのですが、それはまた、イワガキくんの記事にて。
到着二日目(正確には三日目ですが)の4/16は、ミラノから列車に乗って、チンクエテッレへゆきました。
昨晩友人のお母さんがわざわざ列車の手配をしてくれて、チケットを握りしめ、Monterossoへの直行便に乗り込みます。
ミラノのCentraleから出発した列車に揺られること、2時間半、ヨーロッパの車窓と同じ部屋で火がついた様に話すイタリア人男性2人。
話し出すと止まらないんですね、人によって。
予定はこうです、
MilanoCentraleからMoterosso経由でVernazzaへ、
Vernazzaから歩いてMonterossoへ。
Monterossoから予約した列車にのって、ミラノへ戻るという一日の旅。
Monterossoにつくと、40分後に発車する列車を待つあいだ、フォカッチャにチーズが塗られたものをたべました。
少し早めに駅のホームにたち、けん玉をやりながら列車を待っていると、それを横で見ていた英国から来ているとおぼしきおばあちゃんに、「わたしもやってみたい」と声をかけられました。
「是非是非!」ということで、簡単な説明をして、けん玉の布教。
おばあちゃん、結局成功しませんでしたが、楽しんでいました。けん玉たのしい。
そして列車に乗るとたった、4分、Vernazzaへ到着したときに思いました、Manarolaには行かなくてはいけない、と。そして予定を変更して、街を一周したあと、Manarolaへの列車に乗ることにしました。
Manarolaにはこの地域独特(チンクエテッレ地域全て世界遺産)の色とりどりの家々我あるのですが、それが急勾配にたち、対岸のガケからの見晴らしがすばらしいのです。
Vernazzaの海辺のレストランで、スパゲッティとフライドポテトを食べて、雨が降り出した中を駅へ向かうと、駅は大混雑。
やってきた目的の列車にのり、二駅先のManarolaへ。
車掌さんからチケットを買おうと思っていたけど、車掌さんは来ませんんでして(ちょっと期待していた)そのまま下車しました。来なかったので、あくまで。
Manarolaに着いてもいぜんとして雨はやみませんでした。
イワガキくんと山の方を目指してゆくと、だんだんと雲間に光が射し始め、気がつくと、斜面に美しい家々が立ち並びます。
ゆっくりとした海岸の街を見下ろしながら、フォカッチャとパスタとポテトを食べた僕は、もう食べられないなーと思いながら、何故かレストランを探していました。
流石に入りませんでしたが。
期待していたManarolaの街を満喫、写真とりまくり、猫と戯れたあと、駅に向かうと、戻りの列車発車直前。車掌さんがドアを開けていてくれたので、そこから乗りました。
当然、チケットは買いました。車掌さんから買うと高いです。
Monterossaに戻り、さっき巡らなかった、Monterossaの街をそぞろ歩きし、また猫と戯れ、ワインを仕入れて、最後にほうれん草のパイをたべ(またたべた)、帰りの列車はイワガキ君も僕も一度も起きる事なく、ミラノに帰還致しました。
明日からはミラノサローネ。取り合えず、今晩は友人と友人のお母さんが用意してくれたおいしいワインとご飯をたらふく楽しませて頂きます。
Grazie!!
今回のミラノ訪問の目的の、ミラノサローネが本日4/17から始まりました。
イワガキ君と僕は朝から用意してあったチケットを握りしめて会場へ向かう予定です。
初めてのミラノサローネで、僕は情報が足りず、場内、場外、どちらも合わせてどのくらいで見て回れるのか見当もつきませんでした。早起きして、情報の追加をし続け、時間ギリギリまで情報収集。
食堂にゆくと、友人が起きていて、泊めてくれている友人を紹介してくれた友人(今はカンボジアではなくチュメニという国にいる)とSkypeで繋いでくれました。
少しおくれて11時に到着した僕たちは、僕が仕事をしなくちゃならない事もあって、「12時半にここで待ち合わせ。」といって会場に散りました。
さすがは世界で一番の家具見本市、ものすごい数の出店とトレーダーの数、品質も高いし、見応えがあります。
「会社はこんな仕事をしていてー」など説明しながら資料を集めてゆきます。
家具の作りにも一つ一つチェックをして。。。は!
約束の時刻を10分越えてしまいました。
約束の場所に戻ると、イワガキ君がみあたりません。
5分待っても現れないので、「まずい、イワガキ君に時間は使ってられない」と思う気持ちと「ここしか再会ポイントが無いし、会場呼び出し(迷子コール)をかけても彼に呼び出しのアナウンスがとどかないだろうし、完全にはぐれる」いう焦りと、、、他の展示を見に行っては約束の場所にもどり、また展示を見に行きを繰り返して2時間、ずっと機内モードで繋がらなかった彼の携帯に発信ができました。
広い場内、電話が通じてもなかなか場所が特定できませんでしたが、なんとか合流しました。
僕は休憩せず、行ったり来たりと仕事と、走り回っていて、疲れきっていてました。
合流してひと安心のところですが、たぶん以前jだったらここでブチキレてイワガキ君と喧嘩。。。
とはいえ、遅刻したのは僕なのです。
成長?
いやいや絶対にこのなんともいえない怒りの態度は、イライラとなってイワガキ君の前に現れていたはずです。おおめに見てもらいました。(いつも)
イワガキ君は明日からミラノにいないので、一番興味を持っていたサローネサテリテの展示へ一緒に行き、本日の視察フィニッシュに。
明日からも僕はまだまだサローネに通います。
サローネサテリテも良い展示が沢山。ここは展示のしがいのある会場だなと、感じました。
いやはや北欧、特に現代のスウェーデンの家具のデザインはレベルが高い。
いいな、とおもうと大体スウェーデン出身の若手でした。
好き嫌いぬきに。
疲れながらも、とても実りある会場をあとにしたぼくたちは、一度わかれて、イワガキ君は明日からの旅行のチケットを買い求めに駅へ、僕は一度家にもどり荷物を置きました。
夕暮れの街をトラムにのって移動して、大学時代の友人の展示がある場所を覗いたり、散歩をして、一軒のピッツェリアへ。
この旅で一番の味に出会い(ピザはたったの二件目)、堪能した僕たちの長い一日は終わるのでした。
ミラノサローネ二日目。
昨日は場内の半分しか回れていないから、今日は頑張ってもっとしっかり見ようと、昨日より一時間早く家を出発しました。
開場の10分まえに到着し、真っ直ぐに昨日見切れなかったセクションへ。
もうとにかく気になった事をブースの人に注意受けるくらいメモをとって、カタログを貰って歩き回って、メモを取って、カタログを貰って、、、、
気がつくとものすごい重さの本です。
どうやってもってカエルの。
お昼になったのには気がつき、もうすでに痛くなっている腰を休めるために一度そとへ行き、腰を下ろして昼食をとりました。
40分くらい休憩をして、また重いカタログを引きずって歩き始めます。
またメモを取り、注意を受け、カタログを貰い。
間に一時間くらいの休憩を挟みながら17時までとにかく回って、やっとこその建物を終了。
「昨日は場内の半分しか回れていなかったから〜」
と思っていたら、実は1/5も見終わっていませんでした。
これは・・・
キッチンセクションは見られないな。
明日はカタログを貰うのは最後だな(気がつくのおそい)。
と、今日の反省をするのでした。。。
一度家に戻り、痛みきった腰を休息。
まだ明るい午後7時半のミラノの街をスコールが降りしきる中、toriennareで開かれているフィンランドの展示のオープニングへ。
入り口で偶然友人と会い、展示会場内へはいりました。
友人と一緒にきたスロベニア人は感じのいい男で、僕は大して話をしていないけど、話の面白い人だなぁ、・・・でもなんかみたことあるな。
と思っていたら、ずーっと昔にフィンランドに少し勉強しに来ていたころ、同じ学校にいた、共通の友達から良く名前の出る相手、なうえにSNSで会話をした事がありました。
インターネットってすごいな〜。
そして、ミラノサローネなれっこな彼らに連れられて、初めての僕は金魚の糞です。
いやー世の中のデザイナーになりたい学生たちの憧れみたいな世界が夜の街に広がっていました。
ヨーロッパから離れて、日本でも遠ざかっていたこの世界に目が回る思いでしたが、とても興味深いものを沢山教えてもらった気がします。
夜中の1時。
寒さが厳しくなった街で、メトロがなくなり、ナイトバスに乗るのもなんだか気が進まないので、久しぶりに夜中のヨーロッパを歩いて帰りました。
腰が痛いのに。
フィンランドにいた頃をちょっぴり思い出して、またヘルシンキの雪の中、友人達に会いたい気持ちの強まった夜中でした。
さあ、また場内の展示です。
腰は痛いのに。
意気込んで出掛けた三日目のミラノサローネ本会場です。
昨日より少し遅め、一日目とおなじくらいの時刻に出掛けて、fieraの開場に着きました。
チケットをエントランスの男性にかざして、スルッと、通ると。。。ん?
通、、れない、男性が
「だめだ、チケットを買えと言うような事をいっています。(イタリア語)」
「おかしい、僕が買ったのは3回入場できる券、今日は三回目、おかしい!(英語)」
と、怒りをあらわにして、男性に食ってかかる僕。
つ、通じてない。。。
通れないし、通じてない。
男性は「レチェプチョン!!!(れせぷしょん)」を繰り返すばかりです。
仕方が無いので、受付(レチェプチョン)へと思ったら長蛇の列です。
時間がもったいないので、会場お内側にある受付(レチェプチョン)へゆきました。
建物の中の受付はそんなに混んでおらず、少し待ってきれいな女性のところに、じゃなくて受付の女性の所にたどりつけました。
女性に事情を話すと、またも、ちょっと理解に苦しんでいる模様。
英語を話せるスタッフが駆けつけてきて、事情を再度説明しました。
スタッフはいろいろと調べてくれたあげく、
「何故かわからないけど、もうチケットを使い切っている。僕には何もできない、申し訳ないもしかしたら、入り口のところで二回読んでしまったのかもしれないから、もう一度入り口に行ってみてくれ(英語)」と、、、
また、「レチェプチョン!!といわれるだけだ(英語)」
というと、「だれか英語を話せる人を見つけてくれ(英語)」
しかたなく、レチェプチョンのところに行き、近くにいた、英語とフランス語とイタリア語を魔法の様に使い分けるスタッフに頼み、交渉に入りました、が、あっけなく、だめ。
かなりいろいろ説明したけど、だめでした。
もう本会場に入るのは時間の無駄だと見切り、市内へ戻る事にしました。
帰る道中、というか交渉に入った段階で、実は理由は薄々わかっていました、イワガキくんと初日にサテリテへゆきました。
サテリテからサローネに入るのに、券が消費されるのかどうか、一回券しか持っていないイワガキ君を試しに場内に送り込みました。
すると入れたので、僕も続いて入りました。
それが落とし穴、そこでおそらく一回切符をきられていたのでしょう。。。
まぁ、日本人とは思えないほど苦情を言いまくったので、もう疲れちゃいましたし、良いです。
市内にもどると、また家具やデザインプロダクトの展示を見て回ります。
正直、レベルが本当に高く、見応えのある物ばかりです。
しかも、ちゃんとみんな商談をしています。
日本の展示でなぜあまりそれが行なわれていないのか、考えさせられます。
トラムや地下鉄に乗るのにも、だいぶ慣れました。
明後日には帰路とは、ちょっと短すぎます。
今日は街を回る予定でした。初めから。
昨日のトラブル(?)の結果、僕は昨日も街を回る事になった訳ですが、そこで思ったのが、
・こりゃ街を回るのもかなり大変だ
・とあるお店に、ちょっと(製品の)売り込みにいこう
の、二点。
この日の予定は、
1、売り込みの為にお店にゆく(ついでに一つくらい展示を見る)
2、ロンドンからくる友人を迎えにゆく(と同時に近くの展示を見る)
3、一度家に戻る、ロンドンの友人の荷物を置く
4、展示を見に再度出掛ける、昼食をとる
5、19時に帰宅して、19時半にコモに住んでいる友人が来る駅に迎えにゆく
6、20時から晩ご飯をみんなで
7、22時以降にバルバッソに行ってみる
結論から申しまして、全然時間がありませんでした。
1、売り込み→オーナー不在で、再度16時に訪問予定に
2、ロンドンからくる友人を迎えに15分遅れでゆく(と同時に近くの展示を見た)
3、一度家に戻る、ロンドンの友人の荷物を置く、郵便局に重たい荷物を送るための段ボールを買いにゆくも、閉まっている
4、展示を見に再度出掛ける、道に迷ったり、いろいろして、見たかった展示のいくつかは見られない
5、再度売り込みにゆく二時間遅れ18時、オーナーが忙しく、しかも英語を話さないというコトなので、メールを送ることにする
6、見逃している展示を見に、単独行動
7、19時半に直接友人を迎えに行き、20時に家に戻る
8、楽しい食事、なんだか良い気分になり、出掛けるのを止める
終わりよければ全て善し。
弱冠のこころのこりですが、かなり家具もみました。
いろいろ造り方を観察し、スケッチも描きました。
よるご飯に来てくれた友人は、イタリアに4〜5年住んでいて、イタリア語も完璧。
滞在先の友人(イタリア人)とそのお母さんも久しぶりにイタリア語で沢山会話できて、とても楽しそうで良かったです。
僕もとても嬉しいです。
最後にはどこにでも珈琲をごちそう(イタリアバージョン)しました。
あしたは帰りの長旅の始まりです。
長いようで、飛ぶ様に早い生活でしたが、最後にスーパーマーケットに行って
最後の日はとても良い天気でした。
到着した日から、雨天が多く、先週の日曜日は、市民マラソンだというのに雨で、みんなずぶ濡れでマラソンをしていました。
しかもこの一週間は気温も低く、寒い日々が続きました。
ですが、日本へ帰るという本日は抜けるような青空の晴れ。
そんな少し暑いくらいぼ日差しの中を、重たいカタログの束をポストから日本に送り、友人とそのお母様と共に近所の大きなスーパーマーケットへゆきイワガキくんがまた軽い迷子になりながらも、帰宅、最後の晩餐、ならず、最後の昼食をとりました。
ポストオフィスは、英語が全く通じなかったり、家にパスポートを忘れていたり、支払いが現金に限られていたために、家に戻ったり、いったりしましたが、何とかどうにか、こうにかなりました。
最後の昼食のあと、綺麗な紙で折り紙をして欲しいと友人に頼まれたので、ワンパターンですが折り鶴を。。。
すると、何故か横で昼から白ワインを飲んで真っ赤になったイワガキくんのスイッチが入り、「デカイ兜を折るんだ!」とガサゴソ始めました。
僕はも少し家具屋さんをめぐりたいと思ったので、部屋に戻り少し準備をして、家具屋さんの場所を確認すべく、冊子を手にしました。
と、突然、大きなイビキではっとすると、僕は何時の間にか冊子を開いたまま寝てしまっていて、ついでにイワガキくんも寝ていました、なぜか。
僕たちは、昨日確認し直した、21時の飛行機に乗るべく、17時に別れを惜しみながら家をあとにするのでした。
45分、市内のCadornaから空港へ電車に乗っているとき、ターミナルを確認しようと、再度予約券を見た時です、21時のフライトが、ミュンヘンからであることに気がつきます!
ん?ということは?
ミラノ、Malpensaからのふらいとは?
な、なんと1910と書いてあります。
その時すでに1830、あと二駅ありました。
これはまづい、日本に帰れない可能性が。。。80%(希望的観測)。。。
空港の駅に到着すると一目散にチェックインカウンターへ!!!
カウンターにつくと、事情と急いでいることを説明しました。
しかし、結果はNO。
僕らは途方に暮れてしまいます。
肩を落としながら、何とかしなくてはならないので、チケットをカウンターで、予約券の切り替えを試みます。
。。。
。。。。。
。。
しかし、ミラノサローネのこの時期、飛行機はフルブッキングどころではなく、オーバーブッキングで席がありません。。。
参りました。
親切なチケットカウンターの女性は安いチケットやどうにかこの仕方ない日本人を帰そうと、手を尽くして調べてくれました。
それとともに、空港を走り回って違う航空会社に問い合わせをしにゆき、いろいろと探しましたが、結果はなかなか厳しいものばかり、価格的なことをいうと、エジプト航空でカイロ経由。。。
さすがにそのチョイスはなく。。。
結局、かなりの傷をおいながら、成田への直行便を手に入れ、明日を待つことにしました。
朝早いフライトであれば、空港にとどまったのですが、昼過ぎに飛ぶ飛行機で、結局、感動の別れを果たした、友人宅へ。
ミラノ最終日は、打って変わって帰国前日となるのでした。
そして歯を磨いたイワガキくんは大きなイビキをかきながら、明日に備えて夢の世界へ旅立ちました。
驚くべき飛行機の乗り遅れを体験してしまい、虚脱状態の一晩、友人宅に泊めてもらえたお陰で何とか生きながらえたようなものでした。
まさか国に帰るための飛行機の時刻を間違えてしまうとは、「水曜どうでしょう?」でもなかなかお目にかかれる代物ではありません。
僕たちは日本に帰着しているであろうはずだった時刻に朝ごはんをミラノでとり、昨日と同じように友人に送られて、最寄りのメトロの駅から空港への列車の発着する駅へと向かいました。
昨日肩を落としてかえる途中、市内へ戻るためのチケットと、翌日の今日、空港へ向かうためのチケットを同時に購入していたので、そのまま駅構内に入って、特急に乗るだけです。
の、はずでした。
おかしい、列車が動いている気配がない。。 。。。
おや?
ス、ストライキ!!!
おーっとと、
まずいです、空港に、行かなければなりません、今回ばかりは、もう、いやです。
近くにいた日本人と思しき男性男性がどうやら空港へタクシーでゆこうとしている様子なので、声をかけ、タクシーに相乗りをしようとした、その時、知り合いのデザイナーが偶然タクシーから駅に降りてきました。
知り合いにとっさに声をかけ、ストライキを告げると、彼は困りながらも、「タクシーは確か結構高かったような。。。」と一言、それではっと我に帰り、駅の中に戻り、窓口はしていませんがセキュリティの男性がいたので、他に空港へゆく手段はないかをきき、バスが出ていることを教えてもらい、発着場所と昨日買ったチケットが利用できるかを確認しました。
さっき捕まえた男性は、僕がそれをする前に「急ぐから!」ということで空港へタクシーで向かいましたが、知り合いのデザイナーと僕たちは何とかそのバスで空港へたどり着くことができました。
空港へ到着すると、さっさかと出国手続きをすませ、自分の腕時計を日本時間に合わせて、飛行機の出発を待ちます。
日本へは月曜日の朝に到着するので、時差ぼけに陥っている余裕はありません。
飛行機の中では一生懸命寝なくては。
と、思っていたのですが、時計が午前三時をさしている今、全く寝付けません。
日本についたら、成田からバスに乗り、家に戻り、シャワーを浴びたらそのまま仕事へ向かうので、旅の締めくくりをここに記しておこうと思います。
ミラノでは毎年この時期に大きな家具見本市が開かれます、世にいう、「ミラノサローネ」と呼ばれるものです。
序章でも述べたかもしれませんが、家具をデザインする仕事につきながら、縁遠かったこの時期のミラノに、僕は始めて、そして5年ぶりのヨーロッパにやってきました。
イタリアにくるのは実に8年ぶりのことで、初日は地理に全く慣れず、方向すらおぼつかないまま、とにかく街を歩き回りました。
最後にはトラムも利用し、道を歩くにも、大分感覚を取り戻せましたが、飛行機に乗り遅れました。
いろいろと考えることができ、自分のこれからのモチベーションにもつながる内容の濃い旅となりました。
いらない失敗経験は、最初で最後としたいと思います。
努力の末の失敗には実りがありますが、ただの勘違い、確認不足によるものからの失敗だったので本当にいらないものでした。
ですがそこで、次の行動へアクションして、英語でのやり取り、愕然としながらもそれを切り捨てることを学んだようにも、お、思います、(無理矢理に前向き)、、。
繰り返しますが、いらぬ失敗でした。
なににせよ見本市ではたくさんの良質なものに出会い、また今日からの意識に繋げることができそうです。
まさかこんなにも大規模だとは思わなかったので、見きれなかったものも多々ありました。
来年も何かの形で来られると良い刺激になりそうです。
さて、帰りついたら、いくつかのためっぱなしのアイデアを出力しようとおもいます。
そして努力の上での失敗と成功をしようと思います。
珈琲飲んでから。
グラッチェミッレ。
どこにでも珈琲がファーマーズマーケットの片隅に展示されます。
いつも旅の途中で楽しんでいる珈琲をどこにでもブレンドとして皆さんにお裾分け。
旅の途中に欠かせない「須藤さんのパン」屋さん、その名も
「パン・オ・スリール」さんにて、限定3ボトル
ファーマーズマーケット開始時刻から珈琲売り切れまで。
火を使ったりはできないかと思うので、その場でどこにでも珈琲とは行かないかもしれませんが、楽しみを家ででも珈琲ということでお持ち帰りください。
今回のブレンドは少し前回と違います。
前回よりも酸味を抑えました、趣向の違いですが、こちらは前回よりすこし甘く感じます。
製品:どこにでもブレンド(珈琲豆、挽き売りなし)
内容:牛乳瓶ボトル 66g
価格:¥600ー(次回ボトルをキャップ付きで返還の場合¥100ーお返し)
がんばって前回より値下げしました。
パン オ スリール さんのパンはいつも旅に連れて行っているパンです、おいしいです。
残暑と秋の気配が交互に訪れながら、少しずつ過ごしやすい朝晩を迎えている今日この頃です。
涼しさが増すごとに珈琲をゆっくりと楽しむ時間もまたその至福感を大きくしてゆきます。
週末の昼下がり、埼玉の北本にある、cle(クル)というクッキーのお店(日曜日はおやすみ)をやっている友人を尋ねました。
cleとの出会いは僕の生きている世界をとても狭いと感じさせる、また友人達の活躍を知らされる出来事に満ちていました。
友達の友達はみな友達。みたいなことが本当に起こるモノだとおどろくほどに。
そんな奇跡?を経由して、cleを営む北本へ。友人の車にのって、cle × どこにでも珈琲。
たのしい雑談とクッキーと珈琲とけん玉、「ku:nel的な写真」てやつを愉しんできました。
▼cle のクッキー▼
甲武信ヶ岳に登ってきました。
最近山に登ったという記事ばかりですが。。。
以前いわがきくんとふたりで探検した西沢渓谷「#6 西沢渓谷へ探検隊はゆく」から甲武信ヶ岳へつづく徳ちゃん新道を経て、甲州、武州、信州の三国にまたがる甲武信ヶ岳の頂上にて、どこにでも珈琲でした。
今回はブレンドはいつものどこにでもブレンドですが、焙煎の具合がとてもバランスが良く、いつにもましておいしい珈琲が入りました。
山ばかりではなくて、たまにはどこかマチに出掛けてやりたい今日このごろでもあります。
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