この学校もフランスの団体が主催で地元のアーティスト達を教師として雇い、そこに外国人へも含めて広告をして、教育と観光で運営なりたたせています。
バッタンボンへ着いた友人と僕は、予想を遥かに越えたトンレサップクルーズの疲れを引きづりながら、トゥクトゥクは断って(乗り物に乗り疲れた)歩き始めました。日本の友人が教えてくれたバッタンボンのサーカス学校の運営者のヴィンセントに携帯電話で連絡を取り、サーカス学校を目指します。
大きい通りを歩きながら、お腹の減った僕たちは露店で売っている鶏肉やら豚肉、フルーツを買い、貪りながら歩きます。
そういえばこの旅、僕は日本とくらべて所得感覚に大きな差のあるカンボジアでほぼ現地の人が暮らすのとそんなに変わらない金銭感覚(よりちょっと羽振りがいい)で過ごしています。
友人が現地に住んで仕事を得ているお陰で、ただの旅行よりも色濃い経験をできている様に思います。
さて、疲れきった2人は約2キロくらい歩いてきたところで、場所が分からなくなり、ヴィンセントに連絡してみます。
すると、歩いてきた道は一本それていて、愕然としたぼくたちは、道を通りかかったモト(カブのタクシーみたいの)を一台捕まえて、ヘルメットなしの三人のり、しかも荷物満載で来た道を戻る事にします。
サーカス学校に到着した僕たちは早速ヴィンセントに会い、今晩宿泊させてもらう家の主に引き合わせてもらい、そのまま歩いて家へと向かいます。
家につくと、待ち構えていたかの様にスコール。
その主が作ったというセルフビルドの家屋の二階に僕たちの寝床は用意されていて、蚊帳が張ってありました。
僕たちはとりあえずシャワーを浴びたいと思い、風呂を借りる事にしました。
風呂は二階に上がる階段の直下にあり、トイレと風呂場は同じ場所にあり、溜めた水で行水をする形です。雨が降っているのでちょっぴり寒いけど、僕たちは強いのでがっつり水浴びしました。
その後、お家のご飯をご馳走になり、子供達と戯れて、疲れきった僕たちは早めの就寝です。
翌日、夜にサーカスがある事、それに行く予定を考慮して、バッタンボンの街巡りに出掛けました。
昨日川岸に着いたときに執拗に話しかけてきた、結構英語の上手なトゥクトゥクドライバーに電話をかけ、広場で待ち合わせ。
一日バッタンボンを案内してもらうことにしました。
始まりは、バッタンボンの英雄の説明からです。
バンブートレイン、といわれる、トロッコ。
インディアナジョーンズ的な。。。
その先になにがあるかと言えばレンガ工場がありました。
レンガ工場に停めてあるトラックはまたも日本からやってきた車両です。
昨日のトンレサップクルーズに向かうバスにつづいて、こちらは埼玉県の深谷の建材会社のトラックです。日本で使われなくなった物たちが海を越えて、海外で活躍を続けています。
外国人観光客向けに走らせるバンブートレインは、その先に住んでいる人たちの収入源です。
外国人がやって来るとみんなが駆け寄ってきて、飲み物などを地元にしては高額で販売しにきます。
外国人観光客が落とすそのお金は、彼らにとっての大きな収入です。
天をさす、明るいおじいちゃん。
ジュースかわねーか、って聞いてきます。
折角だからとバンブートレインに乗ったのは僕ひとり、友人は待っていました。
戻ってきた僕と、待っていた友人を乗せて、今度は古い高床式住居を見学に行きます。
友人は建築の設計をしているため、この国の古い建築物に興味があります。
カンボジアは内戦の混乱の中で、多くの人が知っているとおり、沢山の人が殺されました。
特に知識階級や、技術者が殺されたために、多くの生産技術が継承されずに失われている事実があります。
この建物も、見るとそれなりの建設技術をもち、土木技術があり、土地の環境に合わせた設計(風の抜けや湿気にたいする対処など)がなされています。
興味深いのは、その一切の技術が、現在のカンボジアにある建築物に活かされていないところです。
そして案内は、この国唯一のワイナリーへ。
とりあえず、記念撮影をしました。
遺跡巡り。
いくつ目かの訪問先のこのガケは
キリングケイブです。
ここから多くのクメール人が落とされ、処刑されたとのことです。
同じ人間の虐殺。恐怖です。
そしてそんな恐怖の歴史のガケの上にある、ゆるキャラ石像たち。
カンボジアの内争、人々の虐殺はこの土地に何を残したのでしょうか。
そのことについては、また旅のしめくくりに考える事にしようとおもいます。
僕たちは二泊するつもりだった街を友人の仕事の都合もあって、またもバタバタと今晩経つ事に予定を変更します。
明日の朝にはプノンペンに戻っていなくてはならないのです。
家に戻る前に夜行バスの予約を取り、遅い昼食を済ませると、帰宅した僕たちは家主に宿泊のキャセルが可能か聴き、よるご飯まで一緒に過ごしてから、サーカスに出掛けてゆきました。
サーカスは学校の敷地内に張られたテントのなかで行なわれます。
まるで絵本の物語りの中のように、夜な夜な人が集まり、階段状の簡単なベンチに腰掛け、団員(学生)が出てくるのを今か今かとまちます。
ザワザワと寄り集まった人々がいろいろな国の言葉で会話を交わす中、会場が暗転し、ステージのスポットライトに司会の女性が現れます。
簡単な挨拶を告げたのち、会場は暗闇のなか、静寂に包まれたかとおもうと、そこからサーカスが始まります。
サーカスはこの学生たちの学ぶための資金を作るためのチャリティーもかねており、ショウがおわると、ドネイションボックスにみんな投げ銭をします。
サーカスが終わった暗い夜道を僕たち2人は家にもどり、荷物を取り上げると、また暗い大通りへでて物語のつづきでも読む様に無言で街をめざしました。
カンボジアを離れる日を明後日に控え、ここまでの移動の半分以上を夜間移動に当ててきた僕は、明日はプノンペン市内のホテルをとって仕事で少しの間僕を構っていられない友人と別行動、これまでで覚えたカンボジアの生き方、実践を行なおうとおもいながら、中々こない夜行バスを蚊に刺されながら待つのでした。
最終話(プノンペン/シンガポール編)へつづく
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