長らくお待たせ致しました、第二話です。
プノンペンを発したバスは、夜のカンボジアを北へ走り続け、寝ている僕たちをシェムリアップへといざないます。
僕たちが乗った夜行バスは17USドル、横になって移動できる寝台バスです。
僕が夜行バスを利用した事があるのは、日本での東京〜静岡間。
その一度以来、僕の人生はあのあまりの疲れっぷりに、長距離の夜行バス移動は避けるようになっていました。
水曜どうでしょう?でも夜行バスは恐怖されているくらい、疲労を伴います。
そんな夜行バス6時間の旅に、この未経験の土地カンボジアで乗り込みます。
ただし上記した通り、僕たちの乗ったこの夜行バスは寝台です。
東京〜静岡も思えば今回訪ねている友人と、茶摘みにゆくためにのったバスでした。
この友人とは夜行バスの縁があるのかも。
薄く目を覚ますと、外は既に白んでいました。
バスは舗装されていない道路を走っているらしく、揺れながら車窓からは平原に茂った木々と高床式住居にハンモックで暮らす人々が見えます。
そんな湿地と広い大地を通りぬけて、バスはなにやら空き地の中にゴトゴトと入ってゆきます。
その前に群れをなすトゥクトゥクドライバーやモトドライバー達の垣根。
空き地の入り口には扉があり、限られた(おそらく何かの許可のある)トゥクトゥクドライバーのみがその内側に入れます。
バスが空き地に入ると、選ばれたトゥクトゥクドライバーとバスを残して扉が閉められます。
群衆はその扉の外です。その理由はすぐにわかります。
僕たち旅行者が出てくると、「わっ」とドライバーたちが客を得るために集まります。
行き先をきくところから、一気に価格交渉が始まります。
僕と友人は山崎一さん似の人の良さそうなドライバーと交渉に入りました。
もちろん交渉は友人がクメール語で。とはいえさすが観光地のドライバー、英語も結構わかります。
おかげで僕とも会話ができます。
「オー、ユー、ドロップ ざ ハンカチーフ」って言ってもらえばよかったです。
交渉成立後、 まずは今晩の寝床を探します。
ガイドブックを頼りに、二人で一泊7USドルの宿へ。
友人はこの土地へ来て、自らのクライアントを見つけ、仕事を創り、収入を得ています。
カンボジア、クメール人の通常受け取っている月収よりもすでにすこし多い収入を持っていますが、それでも日本で働いて生活する僕とは比べ物にならないです。
僕は円高の影響もあって、ここでは大金持ちになってしまいます。
でもそれを利用して高いホテルに泊まって、ただ遺跡をふらふらとまわるだけではここに来た意味がありません。友人を訪ねた意味もありません。
と、いうことで、7USドルの宿。
充分です。シャワーは水しかでないけど、充分です。
二人で一泊560円くらい。
宿でお茶を一杯のんだら、出発です。
外で山崎一さんがまっています。ドライバーの名前を聞きました、ムォムという34歳の山崎一さん(ではない)で子供が二人いるそうです。
今日はムォムのトゥクトゥクを一日チャーターなのです。
まずはまだ朝の光の中をアンコールワットに向かって走ります。
ムォムがおもむろに数字の入ったチョッキを着始めました。
どうやら、遺跡エリアにはトゥクトゥクで侵入するにも許可が必要の様子。
僕たちはチケットを買い求めます。20USドルで一日券。
ゲートのところで写真を撮られて、チケットを首からぶら下げます。
シェムリアップの遺跡群は、アンコール遺跡群として世界遺産にも登録されています。
中でも日本人にその名が有名なのはやはりアンコールワット。
歴史の話が始まると、僕も詳しくないし長くなるので省きますが、「地雷を踏んだらサヨウナラ 」の一ノ瀬泰造さん有名なようにアンコールワットは、クメールルージュの拠点であったこととして有名です。
遺跡は朝の光を浴びて荘厳に輝き、出迎えてくれました。
回廊には多くのレリーフ彫刻があり、遥か昔の歴史を伝えています。
こんな巨大な石の遺跡を600年近くまえの人々が建てていることを想像すると、すごい事です。
日本の木造建築にも驚かされますが。
内戦で傷ついた遺跡は現在、国際協力を受けながら修復も進められています。
日本の修復箇所は几帳面に、中国の修復箇所は大胆(ディテール無視、素材無視)など、お国柄が出ていて興味深いです。
こんどはアンコールトムへ向かいます。
バイヨン。
その前にちょっとお腹がすいたので昼食をして、移動。
アンコールトムの遺跡はまるで、ロマンシング・サガ。
またはトゥームレイダー、インディアナジョーンズ?
次に向かったのは、友人のお薦めのタ・ケウです。
ここで一雨くらいます。スコールはこの時期必ず一日に一度はあるようです。
ナームー。
ここはなんだったか忘れました。
しばらく雨宿りして、辺りが水たまりだらけになったころ、今度はタ・プロームへ移動します。
シェムリアップでは遺跡の写真ばかり撮影してしまいました。
石だらけ。
この日は結構しっかり夕方まで遺跡をまわり、いろいろな物をみました。
夕方に宿にもどり、メールのチェックなどを済ませると街へでて食事のあと、足のマッサージを受けるため友人と街を徘徊。
ここが良さそうだね、といって入ったマッサージのお店、友人は忘れていたのですが、以前シェムリアップを訪れたときにもその店に入ったらしく、施術の女の子たちは友人のことを覚えていました。
「変なクメール語を話す、変なイタリア人(プノンペン在住)」ってことを。
観光の街、シェムリアップはたった一日の滞在にて、次はトンレサップ河をクルーズしてバッタンボンへ向かいます。
これが侮るなかれ、すごい旅路でした。
第三話(トンレサップクルーズ編)へつづく
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