旅から戻って3週間、またも日常に追われ、少し時間が経ちました。
子供のころ、与えられるのが当たり前だった時代。
ボクは誕生日プレゼントやその他の自分が欲するものを手にするのは当たり前のことだと思っていました。
そんなボクを見かねてか、10才歳上の兄はボクにこう諭してくれたひとことがあります、
「誕生日プレゼント(与えられるもの)は受け取れて当たり前の物ではなくて、有り難いものなんだよ」
と。
兄は「そんなこと言ったかなー」、なんて今は言うけれど、ボクはこの言葉がすごく印象的で心に残っています。
ボクたちの住んでいる国は物資に恵まれています。
資源が豊富だとか、そういう意味ではある部分ないけれど、これまで地球のこの地域で一生懸命歴史を作ってきた人びとが、どーにかこーにかして作ってきた国。
ボクは毎日当たり前のように暖かいシャワーを浴びることが今はできているけれど、根本的にボク独りの力で暖かいシャワーを毎日きがるに浴びるなど、夢のような話なのだと感じます。
兄の言葉じゃなけれど、それは有り難いものなんだと、大人になった今では思っています。
暖かいシャワーひとつの日常で何やら大げさな事を言っていると言われてしまいそうですが、ボクはそう思って生きています。
たぶん誰もが多かれ少なかれ、それを身に感じつつみな世界の中で生きている今日だと思うのですが、今年、2011年、ボクたちは日常の有り難さを改めて目の当たりにしています。
近年、僕たち「どこにでもいったはなし」の旅は短期間の傾向があります。
いわがきくんは学生時代からの友人ですが、一緒にどこかにいったのはほとんどが二人とも仕事をするようになってから。そんななか学生のころ一緒に訪れた唯一だろう訪問先が、仙台、松島。
途中の他記事にも書きましたが、10年前になります。
そのときもたしか一泊という短い時間で出掛けてきたと記憶しています。
松島は以前と変わらず美しい島々をたたえていました。
10年経って、岩垣くんと僕とは、個人個人も、お互いの関係も、随分と(適当な言葉かわかりませんが)大人になったように思います。
これは僕の理解するところの、変化、ではなく、成長です。
なぜなら、松島の景色と同じように、僕たちは相変わらずだからだと、僕は思うのです。
松島よりも沿岸を北へゆくには列車の沿線が未だ復旧しておらず、バスでその区間をつないでいました。
僕たちは車を借りて、石巻の方まですこし移動をしました。
目の当たりにした雑草の生えた土地。
瓦礫を満載したトラック、手のつけられていない壊れた建物、海から遠く離れたところにある船、曲がって止まっている、時計。
日本中にショックを与えたあの映像がフラッシュバックし、泣いてしまいそうになるのを踏みとどまりながら、ボクは風呂釜を提供していた金属の職人さんたちの事を思い出していました。
そして、兄がいっていたあの言葉を。
ボクが東北の太平洋側沿岸部に2011年3月11日以降来たのは初めてです。
これまでの半年間で、世界中の人がこの土地に一生懸命関わってきました。
しかし未だ、有り難い日常がその手に戻らない現実もあります。
正直に、「東北ボクの細道」は直接的になにかの行動にはなっていません。
ただボクはこの旅路をゆくことはとても大切だと思ってます。
以前バイクに乗って東北をまわったときには10日間という時間を使いました。
東北をまわるにはやはり一泊というのは時間が短いし、スケッチブックにはまだ何ページもの白紙が残っています。
ボクは「東北ボクの細道」の続きを近いうち歩きたいと考えています。
Recent Comments