「鼻行類」という本がある。鼻で歩く奇妙な生き物を記述した本だ。鼻行類にはその性質、生き方が細かく書いている。解剖図まである。ところがこの生き物は本来存在しない。いない動物の話をあたかもいるように考え示している。人間は理屈が通ると実証されなくても信じる。そういう、いわば理論生物学ともいえる話を、ハラルト・シュテュンプケというドイツ人が考えた。日高敏隆さんはこの本を翻訳した。真に受けた学生や大学教授もずいぶんいた。そういう結果になることを、なぜあなたは研究者としてやったのか。はじめから嘘だと分かっているものをやるのは研究者としてよくないと怒られた。それに対して日高さんはこう答えた。人間はどんな意味であれ、きちんとした筋道がつくとそれを信じ込んでしまうということが面白かったので、そのことを笑ってやりたいと思って出したのです。私たちは滑稽な動物だということを示したかったのです、と言った。
「人類はやがて宇宙という無重力空間に出ていく。ならばその精神もまた同じように、絶対の拠り所のない状態をよしとできるように成長することが大切ではないだろうか。それはとても不安定だけれど、それでこそ、生きていくことが楽しくなるのではないだろうか。よって立つ地面がないということが、物理的な意味でも精神的な意味でもこれからの人間の最大のテーマなのだと思う。あるものに否応なくのっかり、それに頼って生きていくのはこれまでの話、普通の話という気がする。それはやわらかで何ものにも縛られない。科学ではなく知性こそが、このいきもののほんとうの力だと思っている。」と日高敏隆さんは言っていた。
僕は2010年は一人で仕事をすることが地盤のないことのように感じていて、足場が欲しいと思っていた。けれども日高さんの言うように、もう世界は無重力なのだ。重力に縛られることよりも、宇宙を遊泳することを楽しめばいい。自由を得ることは厳しい。けれどもやらなくてはならない。
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