前回、夏に出かけた能登半島からときはすぎるのは早く、2年の月日が経っていました。
25、6歳を過ぎたあたりから、出来事の遠近が曖昧になり、それがとても前なのか、最近なのか、わからなくなることがあります。
人の関係性や出会い、話したことなども、ちゃんと記憶にあるのだけど、それがつい去年のことだったのか、5年前のことだったのか。。。わすれっぽいのではなくて、逆に記憶や感情が鮮明なために、前後がわからなくなる、そんな感覚です。
いわがきくんとぼくの関係はちゃんと成長を遂げているのですが、共有できる話題が学生時代からに遡る分、生っぽいというか、子供っぽいというか、大人なのだけど、純粋な感情で交換ができます。
この関係性や関わり方というのは、なかなか稀有なもので、正直誰とでももてるものではありません。
佐渡島へ渡って、僕は僕たちの感動力というか、何かに心躍らせる力の衰退を感じました。
初めての体験が減ったり、既視感のある風景や出来事が増えたり、人との打ち解け方や間合いのとりかたに慣れたり上手になった分、そういった感動というのが下手になったのかもしれません。
だけどその感動というか感じる力というのはなくなったのではなく、そして未経験のことにしか感動が出来ないわけではなく、ちゃんとそこにあるわけです。
下手になったものはまた上手くなったり、うまくなったものはもっと上手くなったり、または下手になったり。。。
そんなことを繰り返しながら、人は子供から大人になって、老いていくんだなと思います。
バスのりばで一生懸命親身に時刻表を睨んでくれたチケット売りのお姉さん、季節外れの急な珍客をちゃんと迎えて、最後は車で送ってくれた管理人さん。バス停で挨拶を交わしたおばあさん。金山で島のことを教えてくれたタクシー運転手さん。島の世間話に加えてくれて熱唱してくれたスナックのママと常連客。。。
旅の仕方が上手くなって、感動の仕方が少し下手になった僕たちにちゃんと出会いと発見を与えてくれました。
それをまた反芻しながら、いつのことだっけな、なんて思いながらまた生活や仕事の糧に替えてまた少しずつ成長して行こうとおもいます。
次の旅もいつ、どこへ行くかはわかりませんが、またその時に、“佐ぁ渡ぅする?“と悩むことにします。
それでは。
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