新しい旅を迎えるときはいつも寝る間がありません。
どこにでも珈琲の準備でこれから生豆をいらなくてはなりませんし、何よりなんの準備もされていないのです。
お風呂も入らなきゃ。
珈琲にたいする思い入れが毎回強くなってゆく僕は、道具がどんどん増強されて、今回からスノーピークのバーナー を新しく購入しました。
わいー。
(あくまで僕が)東京で一番おいしいライ麦パンを作ると絶賛する、須藤さんの美味しいパンも買い込んだし、朝を迎えたらサッソウと麦わら帽子を被って出かけてやります!
新しい旅を迎えるときはいつも寝る間がありません。
どこにでも珈琲の準備でこれから生豆をいらなくてはなりませんし、何よりなんの準備もされていないのです。
お風呂も入らなきゃ。
珈琲にたいする思い入れが毎回強くなってゆく僕は、道具がどんどん増強されて、今回からスノーピークのバーナー を新しく購入しました。
わいー。
(あくまで僕が)東京で一番おいしいライ麦パンを作ると絶賛する、須藤さんの美味しいパンも買い込んだし、朝を迎えたらサッソウと麦わら帽子を被って出かけてやります!
煎り終わりました。
もう二時です。
なん時の列車に乗ればよいんだっけ?
なんだかもう寝てる暇は無さそうです。
荷物の準備もこれからです。
取り敢えず、マイケルジャクソンの曲でもかけようと思いますッポウ!
おはようございます。
結局余った時間で「水曜どうでしょう?」を見てしまいました。
僕には時間がいくらあっても足りません、無駄遣いするから。
お小遣いもすぐに使い果たしていました。
眠いです。
ルックサックと麦わら帽子。
iPhoneにお財布。
多分忘れ物はありません。
忘れてるのは睡眠くらいです。
各駅停車、しばし休息を。
<
西へ向かうときは、いつも出会う海。
視界が開けた瞬間、いつもはっとします。
今日も暑そうですね。
もうすぐ真鶴、パーティーは4人です。
伊豆箱根鉄道に乗って修善寺まで下ってきました。
ここまで同行してくださった、物理の先生に一杯だけのどこにでも珈琲を振る舞いました。
伊豆の名水とアイマッて美味しく入った珈琲でスイッチがはいった先生は、放射性物質や原発についての講義をしてくださり、わかりやすくいろいろと教えてもらいました。
珈琲を飲みながらバスを待つこと約一時間、バスはこれから二時間かけて伊豆半島の南、松崎へ僕らを運びます。
パーティーは一人増えて、5人。
長い坂を登ってゆくと、そこに棚田がありました。
振り返ると、海。
海のみこうには、遠く臨む本州の山脈です。
これから棚田のあぜつけ作業を手伝うのです。
半島には山も海も川もあります。
すごい環境です。
作業から手が離せず、気がつけば夕方です。
作業はあぜつけ。
棚田の一枚一枚の周りに、いってみれば粘土質の泥で小さな土手を作ります。
そうすることで棚田に水が漏れることなく入り、それぞれを繋ぐトンネルから、傾斜を利用して水がゆきわたります。
この棚田は元々放棄された、荒地の丘陵になっていました。
それを、漁業を引退した方が、鍬を持って少しずつ少しずつ開いたものだそうです。
言わずもがなだし、それに限ったことではありませんが、植物とは凄い力を持っているもので、一度放棄された土地にまた人間が入ってゆくということは、簡単なことではありません。
あぜつけだけでも大人数で手伝って一苦労なのに、ここを綺麗な棚田にした農夫の方々は人間の勇者のような開拓力を持ってして来ました。
勇者たちは夕日の光でたそがれつつ、何ゴールドにも変えられない時を過ごして来たのでしょう。
はらくっちゃい。
(新潟弁)
凄いしっかり食べました。
うま過ぎて食い過ぎました。
ビールも二本いっちゃいまして。
お造りはは尾頭付きで三尾分
里芋
焼き魚
炊き込みご飯
お腹がどーにかなりそうです。
ご馳走様でした。
天気がよくて、美味しい水がありました。
出発前、夜中に煎った豆は時間をかけたのと、配合がコロンビアの割合を多くしたためか、とてもいい味に仕上がっています。
新しく購入した、スノーピークのバーナーも大活躍。
熱効率がいいのか、お湯が沸くのが快速です。
涼やかな初夏の風が抜ける棚田の段縁に腰掛けて、頂きました。
カエルの鳴き声が活発になってきました。
雨の気配を少し感じます。
本州の方から湿気の霧が風にのってやってきました。
今日は少し早めに失礼させていただくことにしてしまいました。
帰って温泉はいっちゃおー。
<
路線バスの停車場です。
町へのアクセスは列車の駅が近くにないのでここへはバスを乗り継いでやってきます。
バス停の中には椅子がちらばっています。
クッションがつけてあります。
かわいらしい。
棚田には澄んだ水が流れていました。
水田の作業が終わると、一段上の水田の堰き止めてある石を外して、水を引き込みます。
水が満々と満たされてゆく棚田は空を映し出していました。
伊豆半島の南に位置するこの場所は、火山島が本州にくっついたという説があるそうです。
切り立った丘のさきに海があるところなど、島っぽさたっぷりです。
不思議なのは、
気候的なものだけでなく、建物など人の営みにも島の空気感を感じるところです。
町を歩くと家々の出で立ちや、その道の作りなどから、新島を思い出します。
僕は昔から半島には鬼の伝説が多いと勝手におもっているのですが、この半島にもなにかあるのでしょうか。
陸の行き止まり、魅了されます。
住みたい。
朝5時に起きて、お風呂に入って、珈琲を6時から海辺で点てる。
つもりが、
起きたのが4時でした。
早すぎると思って、もう一度目を閉じたら、
次はもう珈琲の時刻でした。
朝は鳥たちのさえずりのピーク。
その中を歩いて海辺へでます。
風の少ない場所を選んで、珈琲豆を挽き始めました。
どこにでもブレンドの
海辺コーヒー
もう、新宿駅に向かう列車のなかです。
揺られながら自分の足をみて思います。
やっぱでかい。
新宿駅に到着しました。
5人パーティーで臨んだ棚田ですが、小田原から小田急線に乗り換える時点で一人、そして小田急線沿線で一人づつ降りてゆき、新宿についた今、また僕は一人に戻りました。
今回は「どこにでもいったはなし」の共同制作者であるイワガキくんは不参加でした。
そのためちょっと記事は少なめでしたが、まだ遠足は終わりません。
これから僕はもう少し、列車にゆられます。
戻りました。
今回は旅の間、記事投稿の少ないプロジェクトとなりました。
文章の書き手が僕独りであったことと、移動の多いいつもの旅とは一風変わっていたのでご勘弁をいただけたら幸いです。
さて友人に誘ってもらったことから、今回の棚田へゆく事になりました。
僕は以前から伊豆に限らず半島という、この世の中の人間にとっての行き止まりの地形にとても魅力をかんじています。
「行き止まり」とは決して後ろ向きな考え方からくるものではなく、例えるなら現在の世界地図の中の日本のようなことを意味しています。
今や誰もが知っている事の一つですが、欧米社会から日本は「極東」という位置づけで呼ばれています。
同様に既知のとおり、太平洋が中心の地図世界観ではなく大西洋が中心の地図を目の当たりにすると、「極東」という位置づけ、呼称に合点がゆきます。
日本は世界の行き止まり、半島に位置している訳です。
海に突出し、至近距離に山野を形成し、湿潤で水に恵まれている、環境循環(突き詰めると水の循環)の仕組みがとても効率的に実現されている地形にあります。
それは地球に命として誕生した僕たちを含む生物にはとても暮らしやすい条件を兼ね備えている訳です。
ただ、生物に暮らしやすくても僕たち人間というのは、地球の生物としての生活圏プラス、人間としての生活圏が存在します。
その二つは僕たちが人間という知的生命体とよばれる存在である限り同居をさせていかなくてはならない絶対的な条件なのですが、バランスを取るのが大変に難しく、自然の営みとの間に多くの問題を生じることが少なくありません。
ただそうであるとはいえ生活するためにはこの二つの生活圏、仮に人間としての生活圏を経済圏としますが、この二つは二輪車の両輪であって、私たちはこの車を上手に走らせることによって、営むことができます。
半島は地理的条件から通過点やハブにはなりづらく、簡単には経済的拠点にはなりづらく、経済圏の車輪が上手に回転しない場合が少なくありません。
これを国一個で見ると日本という極東の行き止まりの地は、環境の利を活用して見事に経済圏を形成し、世界の経済圏とつながり、問題はあるにせよ生活圏の地形的な有利を経済圏にもつなげることができたといえるのではないでしょうか。
しかしそれを更に細分化して日本の中の半島を見てゆくと、なかなか経済圏は形成されておらず、人口は減り、高齢化しています。
それはつまり、これまでの仕組みだけでは経済圏の形成がこれ以上進まないということであるとわかるのです。
とはいえ、僕はこれまでの経済圏が積極的にこの「行き止まり」の地に進出していない事を嬉しくおもっています。
なぜなら、これまで形成されてきた経済圏は悲しいかな、地を打ち壊し、生活圏と経済圏との共存をめざすものではなく、経済圏を目覚ましく成長させるこのによって、生活圏をその下に敷くようなやりかたで形成されてきました。
しかし人間は生物である以上、地球の循環を無視しては生きられないのです。
ラピュタの人々も言っていました、人は土から離れては生きてゆかれないのだと、シータより。
・・・僕は半島に訪れるといつも、その自然の効率のよさ、生活圏のすばらしさに感動します。
これまでに経済圏に押しつぶされる事なく残ってきたこの生活圏を、新しくもっと効率的で共存可能な経済圏を組み合わせて、この「行き止まり」の地がもっと暮らしやすい場所になれば、僕はうれしいです。
今回参加した田んぼの手伝いは知り合いのある大学教授が学生の有志をつのって始め、少しずつ活動が大きくなってきたものだそうです。
始めは私たちをご指導くだすった村長さんやそこに住む人々が苦労して、一度放棄されてしまった棚田を再度拓いたものです。
そこに繋がったその先生がさらに若者達や外部の人をつなげ、コミュニティは育っています。
http://ishibu-tanada.com/index.html
こんかいの「伊豆れ棚田な」はいつものように移動を繰り返すものではなく、正に「行き止まり」へたどり着いたかの様なそんな心境ですが、また行き止まりに訪れて、僕もそのつながりの一つになってゆくことを望んでいます。
それではみなさん、良い連休を。
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