のと自慢大会も終わりを迎えました。
いろいろな自慢を聞けました。
いろいろな人と話ができたことが良かったです。
来た意味があったというものです。
この旅の計画で僕たちはまず、レンタカーを利用しないという選択をしました。
目指す場所にはバスがあったりなかったり、鉄道はなし、集落と集落の距離は離れている、そんな環境にやってくるのに動きやすい車がないという選択は無謀とも言える決断です。
ただ僕たちは歩くことができる。
そしてその方がきっと楽しいし実りある、そう思って決めました。
車では通れないところを通ったりもしました、イワガキくんは蜂に刺されましたし、僕は転んで流血しましたが。
輪島の木地屋さんを訪問して、漆器を作るところを見学できました。
いろいろと親切に町のことや輪島塗のこと教えてもらいました。
あまりよく調べていなかったけれど地元の人に教えてもらってお祭りを見ることができました。タクシーに乗るという選択をしましたが。個人タクシーの運転手さんはとてもすてきでした。
お祭りの町でおじさんたちに声をかけられました。ハンサムに写真撮ってくれと。
朝食なのに岩牡蠣をお勧めされて、そのつもりはなかったけれど食べることができました。
もちろん有料ですが。
利用できると思っていた野営場は無くなっていると、ホテルの人が教えてくれました。
そのお陰で計画を練り直すことができ、違う野営場に安心して泊まれました。
岩垣くんはテントも調理道具も持っていませんでしたが。
バス停を二つ歩いてたどり着いた場所でおばあちゃんと話しました。
不便で大変!といっていました。おばあちゃんが父と同い年でした。
バス停の場所がわからず、近所の人に尋ねました。快く教えてくれました。顔は少し怪しがっていました。
降りたバス停のおばちゃんが教えてくれたうどんやさんが美味しかったです。
野営場に戻るときに乗ったバスの運転士さんが行きの運転士さんと同じで、僕たちを覚えていました。
山の中で降りで、海辺で拾われたのでやはり少し不思議な顔をされましたが。
野営場では子供たちを取材するテレビ局が来ていて、松明の灯りの中、浜辺で太鼓を敲く行事を見学できました。
インターネットで見て行ってみた温泉が廃墟でした。
重要文化財も閉じていました。
そうこうしているうちに、イワガキくんの腕がパンパンになってしまい、病院へ駆け込みました。
レンタカーを使わない選択は僕たちの旅の目的にピッタリでした。
点から点への移動では出会えない経験がたくさんありました。
おそらくレンタカーを使ったほうが数多く効率的に名所を巡り、不安なく予定を遂行できるでしょう。ただ、点と点を結ぶ線の上にこそその土地の特徴や良いところ、足りないところに出会うチャンスがあると改めて思いました。
おそらく点と点を結ぶ旅を続けているといつかどこにいっても変わり映えのしない経験をするようになってしまうのかな。なんて、そんな風に感じました。
イワガキくんも僕もどんどん大人になって、家族も持ち始め、時間にももっと制約がでることでしょう。
旅の間中ほとんどの人に親の脛をかじった大学生の気まま旅だと思われていたようですが、これは僕たちのデザインと人間をとてつもなく成長させる旅なのです。
最終日は少しだけ車を借りましたけどね。
それではみなさんまた次の旅で。
「蜂に刺されて」
海岸沿いを、風に吹かれて四日間歩いた。
能登の空は、よく雲がこづんでいた。
旅は久しぶりであった。テントを準備せず、ハマナくんに頼ってしまったり、けれども一人用テントでは寝苦しく結果、浜辺で一人きり雑魚寝をしたり、僕としては相変わらずのどこにでもの旅であった。
旅をはじめた当初より、僕たちはだいぶ年を取った。それでも、輪島の居酒屋ではずっと学生と間違えられていた。気ままな二人に見えたのだろう。けれども、抱えているものは学生の頃とは違う。若造に見られがちなので、もっと貫禄をつけた方が良いよと言われたこともある。しかし、僕としては若造に見られようがどうでも構わない。若造じゃないってことではない。人によって目指す真実はそれぞれ違うのだ。
何を信じて良いか分かりにくい時代に生きていると思う。僕にとっては、若造の話ではないが、真実は一つきりである。僕が信じていることが真実そのものである。
学生の頃、時代小説を読み過ぎていたせいか、世界を自分の力で変えれると思っていた。かなりバカみたいな話だけど、けっこう深刻に僕は信じていた。それから10年近く経ったが、広義な意味での世界は僕の力では、さほど変わっていない。けれども、僕の世界は確かに僕の力で変わった。
若造まだ風に吹かれている。雑魚寝もする。蜂にも刺される。若造は最近、大相撲が好きになった。石川県出身の遠藤を応援している。
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