旅の始めに、技術は尊重されるべきではなくどう使うかが重要だと僕は言った。
この旅で出会った国産箸に携わる人々は皆、自分達の作っているモノを語るときはとても嬉しそうで、熱心で、そして少し照れくさそうだった。
品質が高いのは、技術という言葉で括るには乱暴すぎるほどで、素材に対する丁寧さゆえに、その品質は存在していた。
安くて簡便なものほど、ついつい節約を考えると手が伸ばしやすいのだけど、よくよく考えると、安いというのはそれなりに理由がある。それは外国の安い労働力を使った大量生産品であったり、品質の失われたものであったりする。なにより永く愛せるものではなかったりすることが一番残念だ。
商品は、一つ一つがお客様に愛されるために産声をあげているはずなのに、人類は金太郎飴のような大量生産品に囲まれ、いつしか有限な天然資源を無限に感じるようになったのだと思う。
丁寧なモノへの愛情のある技術は、やはり尊重すべきなのだと僕は思った。どう使うかが重要であるし、それよりもそういった技術をどう守り、永く愛せるモノで世界が満たされるのかが、人類が有限な天然資源を有限に感じられる意識を取り戻す鍵ではないかと僕は思う。そしてそれはデザインを生業にしている者の宿命でもある。
上野原駅に到着。
駅に着いたら、飯を決めるサイコロをふることにしています。
1.どこにでも珈琲
2.行き先を決めるためにサイコロふる
3.味噌汁
4.飴玉
5.行き先を決めるためにサイコロふる
6.酒屋で飯を買う
出た目は4。
なかなか飯を食えない僕らであった。
信玄の隠し湯。
源泉は、水風呂ほどではないけどヌルめだ。入ると少しヒヤっとする。
しばらく入っていると身体が慣れてきて、意識がピーンとしてくるのだ。水とひとつになったみたいだ。池に浮かぶ蛙とか藻とか水草に自分がなったように感じる。
さきに居た僕と似た髪型をした若い人は、眼をつぶってゆっくり入っていた。
僕も、後から入ってきたお爺さんも眼をつぶって水に浸かる。
そうすると、何だか頭の中から音楽が聴こえてきた。
何百光年輝く星にも寿命があると、教えてくれたのはあなたでした
と百恵ちゃんが僕の頭の中で「さよならの向こう側」を歌っていた。
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