戻りました。
今回は旅の間、記事投稿の少ないプロジェクトとなりました。
文章の書き手が僕独りであったことと、移動の多いいつもの旅とは一風変わっていたのでご勘弁をいただけたら幸いです。
さて友人に誘ってもらったことから、今回の棚田へゆく事になりました。
僕は以前から伊豆に限らず半島という、この世の中の人間にとっての行き止まりの地形にとても魅力をかんじています。
「行き止まり」とは決して後ろ向きな考え方からくるものではなく、例えるなら現在の世界地図の中の日本のようなことを意味しています。
今や誰もが知っている事の一つですが、欧米社会から日本は「極東」という位置づけで呼ばれています。
同様に既知のとおり、太平洋が中心の地図世界観ではなく大西洋が中心の地図を目の当たりにすると、「極東」という位置づけ、呼称に合点がゆきます。
日本は世界の行き止まり、半島に位置している訳です。
海に突出し、至近距離に山野を形成し、湿潤で水に恵まれている、環境循環(突き詰めると水の循環)の仕組みがとても効率的に実現されている地形にあります。
それは地球に命として誕生した僕たちを含む生物にはとても暮らしやすい条件を兼ね備えている訳です。
ただ、生物に暮らしやすくても僕たち人間というのは、地球の生物としての生活圏プラス、人間としての生活圏が存在します。
その二つは僕たちが人間という知的生命体とよばれる存在である限り同居をさせていかなくてはならない絶対的な条件なのですが、バランスを取るのが大変に難しく、自然の営みとの間に多くの問題を生じることが少なくありません。
ただそうであるとはいえ生活するためにはこの二つの生活圏、仮に人間としての生活圏を経済圏としますが、この二つは二輪車の両輪であって、私たちはこの車を上手に走らせることによって、営むことができます。
半島は地理的条件から通過点やハブにはなりづらく、簡単には経済的拠点にはなりづらく、経済圏の車輪が上手に回転しない場合が少なくありません。
これを国一個で見ると日本という極東の行き止まりの地は、環境の利を活用して見事に経済圏を形成し、世界の経済圏とつながり、問題はあるにせよ生活圏の地形的な有利を経済圏にもつなげることができたといえるのではないでしょうか。
しかしそれを更に細分化して日本の中の半島を見てゆくと、なかなか経済圏は形成されておらず、人口は減り、高齢化しています。
それはつまり、これまでの仕組みだけでは経済圏の形成がこれ以上進まないということであるとわかるのです。
とはいえ、僕はこれまでの経済圏が積極的にこの「行き止まり」の地に進出していない事を嬉しくおもっています。
なぜなら、これまで形成されてきた経済圏は悲しいかな、地を打ち壊し、生活圏と経済圏との共存をめざすものではなく、経済圏を目覚ましく成長させるこのによって、生活圏をその下に敷くようなやりかたで形成されてきました。
しかし人間は生物である以上、地球の循環を無視しては生きられないのです。
ラピュタの人々も言っていました、人は土から離れては生きてゆかれないのだと、シータより。
・・・僕は半島に訪れるといつも、その自然の効率のよさ、生活圏のすばらしさに感動します。
これまでに経済圏に押しつぶされる事なく残ってきたこの生活圏を、新しくもっと効率的で共存可能な経済圏を組み合わせて、この「行き止まり」の地がもっと暮らしやすい場所になれば、僕はうれしいです。
今回参加した田んぼの手伝いは知り合いのある大学教授が学生の有志をつのって始め、少しずつ活動が大きくなってきたものだそうです。
始めは私たちをご指導くだすった村長さんやそこに住む人々が苦労して、一度放棄されてしまった棚田を再度拓いたものです。
そこに繋がったその先生がさらに若者達や外部の人をつなげ、コミュニティは育っています。
http://ishibu-tanada.com/index.html
こんかいの「伊豆れ棚田な」はいつものように移動を繰り返すものではなく、正に「行き止まり」へたどり着いたかの様なそんな心境ですが、また行き止まりに訪れて、僕もそのつながりの一つになってゆくことを望んでいます。
それではみなさん、良い連休を。
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